I'm the torus.

僕等はものを食べてそれを体の中に取り込んだ気になっているけど、よく考えてみるとそれは体の中に入ったわけじゃない。なぜなら僕等はトーラス、 S_1 \times S_1 だからだ。
消化管はトーラスに開いた穴に過ぎない。トポロジカルにいえばそこは僕の体の内側じゃない。太陽や車がいる空間と同じだ。分解して小腸で吸収されて初めて体の中にはいったといえるのだ。
そういうことを想像して、腹のなかに落ち着かない感覚を抱いている自分は我ながら変な奴だなあ。

まあ、こういうことを考えたのは子宮の中がすでに母親の免疫系の埒外になっていることを思い出したから。正確には、子宮の中の羊膜の中のことだけど。
そこは既に新生児の免疫が働く空間になっていて。母親の細胞であろうが、入ってきたら敵として殺される。
その間にたって養分やら酸素・二酸化炭素を交換するインターフェースになっているのが胎盤だ。そこが二つの個体の界面になっている。ここらへんは、以前へその緒の中の血液はどっちの血なんだろう、とおもって調べたときの知識。胎盤からさき、つまりへその緒は新生児のものだ。受精卵が分割してできたものだ*1
冷静に考えてみたら、腹の中で別の個体が発生して融着して栄養をすいとってるんですよ。それなんてSFですか。哺乳類はよくそんな仕組みを考えたもんだ。正確には有胎盤類か。
いずれにせよ、俺たちは活きてるってだけでむちゃくちゃアクロバティックなことをしてるなあ、と思った午後でした。おちはない。

*1:いや、ちゃんと調べてないけど

学習の高速道路の果てに僕等は住んでいる

羽生さんのいう学習の高速道路論は、それなりの希望と絶望を与えてくれるはなしだ。オジサンはもう高速道路を疾走できる年でもないんだけど、そこに乗れば見たこともない新天地にいけるのだろう。ただ、そこも混雑しているかもしれないが。
だが、見方を変えてみると考えてみると我々はもう既に学習の高速道路の果てにいるのかもしれない。少なくとも数学という分野に置いては。

日本の中世の頃を考えてみれば、割り算ができるというだけで数学の天才だという話を聞く。あまっさえ、多くの人は平方根の概念を知っていて、概算できたりもする。18才の若者が微分積分を理解して微分方程式を解く未来など、その頃の算学者には理解不能だろう。
それは、我々おじさんが、開発環境などを使いこなす高校生などを見て驚嘆するのと同じかもしれない。
そう思うと幸せな世に生まれたような気がする。「数学はいらない」というおばさんだって、きっと割り算ぐらいは使えるのだ。消費税率 5%と言う意味を分かるのだ。ナイス・ナイス・ヴェリナイス。
あんそく やる夫で学ぶフェルマーの最終定理 【前編】」がはてぶで人気になってるくせに歴史をなぞっただけで、楕円曲線がなんなのかにも触れられてないのに絶望したのだが。でもそれでもこれがぶくまを集めるってだけでもすごい世なのかもしれないなあ、と思い直してみる次第である。

渡辺千賀さんとアメリカのアーキテクチャ

アメリカに住んではいるのだけど、渡辺千賀さんの書いているような低所得者の集まる病院における危険については知らなかった。
もちろん自分の世界が狭いせいもある。そこそこ金をもらってる日本人として、ぬくぬくと私立病院にかかる自分としてはそんな目にあったことがない。まわりの人たちも同じような、ある程度高学歴高収入な人ばかりあつまり、低所得者の現状は知らない。たまにゴミ清掃のスパニッシュをみて、この人たちは家に帰るとどんな生活が待っているのかと想像するだけだ。
そんな中、多分俺よりも高所得であろう渡辺さんがそういう情報をちゃんと集めているのがすごいと思った。別に知ろうとしなければ知らなくてもすむことである。お金持ちとのんびり過ごしていれば大丈夫なはずだ。それをちゃんとアンテナを張ってるところがさすがだと思った。
言い訳させてもらえば、これは俺の怠慢だけが悪いのではなく、アメリカというのはそういうのを隠すアーキテクチャができあがっているのだ。隠す、といってももちろん見えないわけではないが、考えなくてもすむ、石ころ帽子を被った存在になっている。わざわざ注視してみないと見えない。普通に生活している分には罪悪感とかを感じなくていい。
アーキテクチャというのは、Lessigが CODEで指摘したのとおなじ意味だ。そしてそれは、不快な情報をとりのぞいて快適な環境を作り上げることもし、社会を停滞させる。アーキテクチャはモラルよりもつよし。
日本でもそういうアーキテクチャはできあがりつつあるのかもしれない。それで「派遣村」といって貧困層を可視化させたりすると、叩く雰囲気ができたのかも。
なんだかんだいってアメリカではまだチャリティー精神は旺盛なので、一定数気にかける人はいるが、日本ではそういうアーキテクチャが完成されてしまったらどうなるのかなあ、とぞっとしなくもないのだった。

続・タバコの方が大変だろ

folivoradelsucさんのエントリきくち先生の日記などをみてまとめたことです。

まず、どの程度影響があるか見るのに「発生率」を見るのもいいですが、「死亡率」も見ないといけない気がしてきました。
つまり、タバコの影響が心配される肺がんに比べて、脳腫瘍は発生したとしても死亡に至る割合は低いようです。
こういうデータは国立がんセンターの統計のページが参考になります。
具体的には、脳・中枢神経系の腫瘍の死亡率が高くても 0.006% (6e-5) なのに対して、肺がんの死亡率は 0.7% (7e-3) まで高まります。つまり百倍ぐらい肺がんの方が危険だってわけです。

発生 (罹患) 率についてもは、肺がんが最大 0.6% (6e-3) なのに脳・中枢神経系は多く見ても 0.02% (2e-4) と、10倍近く違う。まあ、肺がんは年齢差、性差がでかいんで、最大値を比較するのは unfairだってのもありますが。

ということで、発生率が 50%ぐらい増えたって危険性も低いんだしタバコほどの悪影響はないだろ、と。そもそもタバコの肺がんに対する寄与は 50%じゃすまないだろうってのもあるし。と言うのが個人的な結論です。

逆に、発生率が有意に 50%増えるとしたら、それはそれで全体としてみると衝撃的な事実なんでしょう*1困ったもんだなさんがこだわるのや、切込隊長の奥さんが驚くのも専門家としてはむべなるかな。かもひろやすさんいわく:

脳腫瘍の発症率が年間100ppmから150ppmに上がっても、個人としてはたいした問題ではありませんが、携帯電話の長期使用者を少なめにみて1000万人としても脳腫瘍患者が毎年500人余計に生じることになって、社会的コスト増としてはそれなりに痛いです。この手の危険性というのは、主にそういう問題です。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1231323525#CID1231399303

とりあえずは、みのもんた教育再生懇談会とかに煽られない用に注意するのみです

*1:ちなみに、有意性に関する id:mobanamaさんの指摘はまだ咀嚼できてません。ペコン。

人生はそれなりに楽しい

脊髄反射メソッドで書くぞ。
「日本は豊かな国なのだろうか。不思議になる。少なくともそこに生きる我々は,あまり自分のことを幸せだとは思っていない。」という状況になっているようで大変である。
そもそも話す内容が会社や仕事の事になってしまうのが不毛なのじゃないだろうか。人生の関心のほとんどをそんなものにとられてしまう時点で豊かではないのかもしれない。
自分にとって会社はそれほど楽しいものでもないが、会社以外に楽しいことはいくらでもある。会社をやめてどうやって生きていこうか夢想することもよくある。
仕事が楽しいなら、仕事に価値を求めてアテンションを多量に割り当てるのもありだろうが、苦しいだけなのに貴重なアテンションを割り当てるのはもったいない。他にアテンションを振り分けて生きていく術を考えるべきじゃなかったのかなあ。
そういうのを考えさせないのが日本の教育であり、社会なのかもしれないけど。旧来は大企業に入っていれば、そういう自分の充足感のもちかたまで管理してくれたのかもしれない。いまは、そこらへんは自己責任になってるんだよ。

タバコの方が大変だろ

これはひどい Gizmodo.jpメソッドですね、だけど釣られておく:

この調査でイスラエル人研究者たちが発見したのは、携帯電話を使う人は使わない人より脳腫瘍ができる確率が50%も高いこと。

携帯電話の脳腫瘍リスクを調べる史上最大の調査、中間報告は最悪 | ギズモード・ジャパン

50%って数字だけ出して見ると怖いけど、元の記事の Willlさんのコメント*1にあるように、そもそも脳腫瘍の確率がものすごく低ければ、50%増えたってやはりひくいものだ。
Willlさんはいろいろな例を出して比較してくれてる:

一日 LAで住めば、空気汚染のせいで百万分の一ほど死ぬ確率が上がる。70日過ごせば、10年間携帯電話を使って増えた分と同じだ。空気汚染についてそんなに心配してるかい?百万分の1の増加といえば、300kmのドライブ(交通事故死)や 1/2のタバコ(肺がん)、煉瓦のビルで3ヶ月過ごすこと(自然放射線による癌)でも起こる。

Last Call? | Popular Science

まあ、そんなかんじで、「たばこの喫煙が死因になることが分かった時より、これは怖いニュース」っつーのは言い過ぎでしょう。
もとの記事も煽りぎみだけど、やっぱり Gizmodo.jp だなあ、ってことで。

追記: ブクマで id:mobanataさんが指摘してくれた有意性の件ですが、IARCの最新報告を読んでもよく分かりませんでした。疫学に関しては素人なもので...どなたか、おしえてくださるとありがたく思います。

*1:id:torinさん、教えてくれて有難うっす

バーナード・メードフはねずみ講詐欺なんかしていない

この記事をよんで初めて知ったのだが、NASDAQ元会長が 4兆円を越える巨額の詐欺で捕まったらしい。
変だと思ったのが、瀧口さんの記事では「ネズミ講」といっているんだけど、被害にあった会員の話がちっとも出てこない件。無限連鎖講の時の被害者の大部分は、巨額の出資者じゃなくて、小金と時間と人間関係を失った会員のはずだ。

そういうわけでくさいと思って英語のソースを当たってみると、以下のようなものが:

NEW YORK (Reuters) - Bernard Madoff, a quiet force on Wall Street for decades, was arrested and charged on Thursday with allegedly running a $50 billion "Ponzi scheme" in what may rank among the biggest fraud cases ever.

http://news.yahoo.com/s/nm/20081212/bs_nm/us_madoff_arrest

Wall Streetのここ数十年の重鎮である Bernard Madoff が、火曜日に、史上最大の規模に当たる 500億ドルの「Ponzi詐欺」を行った容疑で逮捕された

ようはこの Ponzi-schemeネズミ講 (Pylamid scheme) に誤訳されたと思ってよさそうだ。さっそく Wikipediaを引いてみると、日本語はなく、英語ならある。訳すのも面倒くさいので、ちょうど見つけたヘッジファンド・ジャーナルというメルマガから引用する:

(Ponzi scheme)異常に高いリターンを謳って出資者から資金を集め、その資金を使ってその後に続く投資家に利益を配分する、といった資金操作を繰り返す詐欺の一形態。一種の自転車操業であり、出資を煽って新規の投資家を無限に呼び込まなければ、必ずどこかで破綻する。
ポンジー・スキームと類似する仕組みとして「ねずみ講」(無限連鎖講、pyramid scheme)が挙げられるが、こちらは上位会員がある金額を支払えば、それを上回る収益をより多くの下位会員から徴収した金額から受け取ることができる仕組みの団体を作ることで、ポンジー・スキームとは厳密には異なる。

ヘッジファンドジャーナル_2008年12月19日発行

そういうわけで、あんまり類似してない気もするが、たんなる誤訳ということで納得。でも瀧口さんまでその誤訳に付き合ってしまっているのが残念。

ちなみに WikiPediaには「ポンジー・スキームという単語は主にアメリカで使われるが、他の英語圏の口語ではネズミ講と区別されない」とある。まあ、訳者が間違うのもむべなるかな。でも、プロたるもの俺でも気づく矛盾に気づいてほしかった。