大学教育をする意味を超えて..

以下の記事にコメントしたんだけど、思ったのと違う答えがかえってきてしまった。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20060805/1154789810
へろへろなんだけど、いまのうちに書いておこう。すぐにやる気が萎えてしまうたちなので。

# hujikojp 『全入時代に客 (学生、もしくはその親) を受け入れ、そこそこの顧客満足度 (学問の習得ではなく、単位、ひいては卒業) を達成せねばいけない大学というビジネスのマーケティングを考えなくては。
多くの人間が大学という高等教育を受けられるのは「いいこと」なのだから、それを本当にいいことに結び付けようと努力してるのが fuku33さんなんだと思います。』

つーふーにかいた。返事は以下のとおり:

hujikojoさん、はじめまして。単位を上げるだけならそれほど難しくないと思いますが、高等教育を受けられるのがいいことという前提を、疑う局面もあるべきではないでしょうか。また考えを深めていきたいところですが。

うーん、「高等教育を受けられるのがいいこと」って前提をなくしたら、「入学容易大学」の存在意義がなくなり、ひいては fuku33さんが悩む意義もなくなっちゃうように思ってああ書いたんだが。「大学教育をどうするべきか」っていう意味じゃなくてもっと大学教育を超えた問題提起としてあれを書いたのかなあ。

あと、個人的な体験を書いて考えをまとめてみるか。はっきりいって自分は変なやつだと思っているので、自分の体験から一般に敷衍できることは少ないと思っているけど。