Mad Scientistの倫理

最初の感想として「へー、そういう応用があるんだ。面白い Hackじゃん」


論座2006年8月号に「IT技術は小学生を守るか」という記事が出ていた。これに次の記述がある。


立教小学校(略)の「登下校管理システム」は、ICタグを用いたセキュリティーシステムの草分けだ。(略)導入を進めた石井輝義教諭(情報科主任)は「動機は、どちらかというとセキュリティーよりも利便性にありました」と語る。(略)

「教師の仕事の一部を肩代わりしてもらうことで、生身の子どもと接することに集中できる」。今後はさらに、記録を時間順にソート(並べ替え)して仲良しグループを割り出す、長期欠席児童を把握するといった可能性を考えている。昨年5月の遠足では、バスに児童が乗り込んだかどうかタグで確認する実験も行った。無線LAN機能と専用ソフトを備えたモバイルPCをリーダーとして用いたという。

さらに、技術開発やシステム導入時の「議論」の重要性も強調する。(略)文系出身の石井さんたちが開発段階から加わることで、現場のニーズや社会的倫理までふまえた議論をした。「何度も手直ししました。ごく一部の技術者が専門知識を専有して突っ走られたら困りますからね」と石井さんは言う。

大内悟史, 「IT技術は小学生を守るか」, 論座8月号, p.130

もちろんプライバシーの問題とか、いろいろある。が、素直に技術を応用すると変なことができるんだなあ、という感嘆を大事にしておきたい。特に、ややもすればしたり顔で「セキュリティ云々」と言い出したくなる blogosphereにおいては。

特に、id:mkusunokさんの論は感情的にあおりすぎの気もする:


つまりRFIDで子供たちの交友関係を把握しようという発想の背景には,子供たちの交友関係を知りたいのに把握できていない,という現状認識がきっとある.けれどもそういった道具を介してしか分からない交友関係の歪みに気づけたとして,道具を頼らなければ交友関係を把握できないような教師に,状況を改善できるだけの対人関係能力があるか疑問なのだ.
「把握できる」と「改善能力がある」を混同させる誘導された議論。道具があるがゆえに把握できるようになり、適切な対応ができる例もあるはずだ。もちろん、道具があるゆえのマイナス (情報の濫用) もあるが、それは「道具で能力を嵩上げされた教師」の部分で起こるものではなく「そもそも能力のない教師」や「情報の管理のすきのあまさ」の部分で起こる部分が多く、別に論じるべきでは。

それ以前に、ランドセルっていうのはどうなんだろうか。あれって、最近の小学生もまだ使ってるのか。俺の時代でも、5,6年生ぐらいになればつかっていなかった。あれ自体、なんか SMの世界で使われる拘束具みたいな物々しさじゃないか。第一、使いにくいし。

子供も RFIDを hackして、そのなかでのすごし方を学んでくれることを望みたい。