構造改革が必要なんじゃ

俺が中学生のころは PCなんてものはばらばらだった。互換性なんてものはだれも考えていなかった。NECユーザと富士通ユーザがいがみ合っていて、MSXユーザは淡々とゲームをしていた。「見たか27色!!」と空威張りしていた俺。27色ですよ、27。木村一也もぐれるわけだ。

その後、IBM-PCなるものが南蛮でははやっているらしいと聞き、安いらしいけど面白くないなあ、という時代に入る。坂村健は「一つのアーキテクチャが市場を独占することは技術発展上好ましくない」とか批判してた。それと同じモチベーションがアランにもあるのかも:


 果たして、そうだろうか。必ずしも進歩していない部分もある。例えば、メモリのデータ転送速度はさほど高速化していない。また、マイクロプロセサも依然としてシングル・プロセサのアーキテクチャから脱却していない。これは、技術的な問題というよりも、コンピュータ・ベンダーが大きな変化を望んでいないからではないだろうか。

まあ、アラン・ケイのいっているのはそういう枝葉の違いではない。彼が引き合いに出すのはコネクションマシンだ。超並列コンピュータだ。

彼の話を伝え聞くと、グーテンベルグの発明がその後の宗教革命、ルネッサンスに与えたような影響をパソコンに期待しているのがわかる。おれとしては、blogosphereとかも発達してそれなりに社会的にも影響持ち始めたよなあ、という感慨を持つのだが、彼はこのスピードでは満足していないらしい。

そのためには下部構造であるコンピュータアーキテクチャから変えなきゃいかん、といっているのだろう。あたっているかどうかわからんが、技術的に面白そうな課題だ。Wozだって社会を変えようっていうより、目の前の 6502と遊んでみたかっただけじゃないか。

アランの理想とするコンピュータ環境とは、ヘテロジニアスな CPUが連携して動く社会じゃないかなあ。CMは、そういう並列環境の例として出してみただけで。携帯電話に詰め込む機能を探している日本のメーカには、そういうものに関するアプローチをしてほしい気もする。

そうそう、あと分散環境じゃないけど、それなりにヘテロジニアスなプロセッサを集積された PS3とかを彼はどう評価しているのか聞いてみたい。あれも使いこなせばいろんなことができそうだよな。