長いのがお好き

やっぱり YouTubeとかで短いものばっかりみるのはせわしなくてやだよなあ。といいつつ長く集中できない体になりつつある気がします。悲しい。とは世の人は思わないのだろうか?

「YOUTUBEが教えてくれたこと」-ハコフグマンでは短い尺のほうが人気があるといっている。これに対し弾さんは以下のように問題を提起している:


それが「長尺モノは嫌われる」という点。TVでは確かにそうなのだが、それがむしろ好かれている世界もあるからだ。

それは、フィクションの世界。

小説もマンガも映画も、長尺化が著しい。例えば小説。日本ではちょっとわかりにくいのだが、英米のフィクションは、ペーパーバックで縦に立てて倒れない方がむしろ珍しい。日本ではこうしたものは上下巻かそれ以上に分けてしまうのでわかりにくいが、今や英米フィクションは京極夏彦あたりまえ、という感じが強い。400ページを切っていると「短い」と感じるぐらいだ。

そしてそれを許す需要側の論理をやや嘆いてみている。

これは違うような気もする。まだまとまってないながらもつたなく思うところを書いてみる。

思い出したのが山形浩生「小説の効用分析とその未来を考える」だ。詳しくは中を見てもらうとして、文字からなる小説と、画面全体を使う映像では効用 (= 刺激) が違うのではないか。映像と同じ刺激を受けるにはそれだけの長さを持たなきゃ静止画メディアはもたなきゃいけないのでは。

あー、でも漫画となるとまた違う気もするな。もう。まとまらないけど投稿しちゃえ。いずれにしても刺激に反応するのではなく、刺激の意味を考える人間になりたいなと思ってるとひきこもりっぽくなっちゃったからやっぱりやめたほうがいいかな。