結婚は人生のペアプログラミング

たまたま 「けっこんのはなし」を読んで知ったのだが、結婚観を語るのがあついらしい。

いや、たしかに結婚なんて不合理で、なんでこんなことしたんだかよくわからねえ。でも悪くもないものだよ。いいものだ、って万人に勧めるわけでもないけど。ここらへん、上のentryの先にある「子供を持つってどういうこと」と似て、やってみなきゃわからないのかもしれない。いや、子供なんかと違って結婚は解消できるから、かなり違うけど。

そんなときに 「もっぺん結婚するとしたら(ちょう妄想編)」を読んでちと萎えた。ネタだよなあ。そんな、自分を複製したような女と結婚したいのか。

結婚ていうのは、ひとりで気ままにやっていた生活のなかに、突然へんな人がいやおうなく入り込んでくるもんなんだ。靴下を脱ぎ散らかしていたのを怒られたり、食器の配置が自分のやり方と違っていたり。そういうものを数えあえていけば受難でしかない。でも人間ってのはそういうのを乗り越えてこそ成長するもんだ。結婚は成長の一過程でもある。同じような自分のコピーと、しかも隣の部屋で生活して成長できるか。

そういう意味で、結婚というのはペアプログラミングだなあ、と思ったことがある。自分の行動を相手に説明してやらなきゃいけない。いや、プログラムじゃないし、相手も論理的な説明を受け入れることも少ないけど、でも自分の行動を自省する機会にはなる。それになんといっても生活は二人で築かなきゃいけないもんだ。

でも、ペアプログラミングだったらペアって入れ替わるもんだよねえ。俺もそろそろ入れ替わりたくぁwせdrftgyふじこjp