大元の価値観と結婚

id:satomiesさんにさらに trackbackを頂いたんで、その言葉をかみ締めてみる:


 これはわかる。とてもわかる。でもその前提というところで、重大な価値観闘争が夫婦間で起きるか否か、ということは、わたしは大きいと思う。これがこうされたらイヤだ、と。それが他者にとってどんなにくだらんことであっても、当人が自分の生活の中でイヤだと言ったらイヤだ、ってことは、個人の中でもろもろあるものだと思う。それが上手にお互いに妥協できるかどうか、ってことは、大元のところでの価値観闘争が起きないことが重要なんではないかと思う。

これは原則としてわかるが、結果論の気がする。

人は、闘争してみなきゃなにが大元かなんてわからない。いや、たしかに俺が例に出した食器の並べ方なんてくだらないことだけど、そういうところが積み重なって爆発したりもするし。

逆に言えば、俺は結婚して共同生活を営みながら「自分の大元って何だ?」って探ってる気もします。どこまで制限されたら切れるのかとか。切れるだけで終わればいいけど、分かれようと思うのかとか。切れつつも自分を観察してみたり。

相手の大元にはどの程度迫れてるのかわからないけど、とりあえず大元が関わる闘争にはまだなってないみたい。

結婚前に、そんな大元の部分がわかればいいんだろうけど、無理なんだろうね。大元って簡単に言ってるけど、そのありかたってのはダイナミックなもののはずだ。たとえば子供がいなかったときはむちゃくちゃ大切だったものが、子供ができたらどうでもよくなったりする。そういった変化も含めたアルゴリズムみたいなのが「大元の価値観」なので一言で言えるもんじゃない。

やっぱり、結婚して共同生活してみないとそういうのはわからないのかもなあ。

この日記を書くにあたって調べていたら、面白い記事を見つけた:


さらに衝撃的だったのは、不幸な結婚を続けた3分の2が、5年後には幸せになっているとの報告である。しかも、不幸の度合いが高い夫婦にほど劇的変化が見られ、不幸だと思いながら別れずにいた10人中8人が5年後幸せに暮らしている。調査団は、婚姻による個人の幸福度を重点的に調べることで知られる、国が実施する家族・家庭調査の結果を用いている。80年代後半、5232人の既婚者に聞いたところ645人が自分の結婚は不幸だと答えた。5年後、再度同じ人達に聞いたところ、離婚や別居した人もいれば、そのまま別れなかった人もいた。

5年間の忍ぶ生活のなかで、なにが大元かわかってくるもんなんですかね。やっぱり人間のここらへんの能力はすごいなあ。

あ、だからっていったって今離婚しようとしている人たちに、やめろっていうつもりはありません。あなたが残りの 3分の1である可能性も十分あるので。