アルゴリズム行進の隠されたメッセージ
最近、YouTubeなどのおかげでピタゴラスイッチが世界的に広まっているようだ。
背景にさまざまな芸術理論・数学的知識などを内包していながら、それを意識させずに体や直観に訴える。そんな表現が、日本人のみならず世界の人々の琴線に触れたのだろう。湖池屋スコーンのころからの佐藤雅彦ファンとしてはうれしい限りである。
そんななかでもすごいのが次のフィリピンの刑務所(?)におけるアルゴリズム行進のビデオだ。
なんなのだろう。フィリピンの刑務所って言うのはでっかい幼稚園なんだろうか。こんな楽しそうなことをみんなでやりやがって。北朝鮮のマスゲームには見劣りするけど、たまにずれている親父がいるのもほほえましい。フィリピンだときっと濃い親父が多いんだろうから、次は500人ぐらいでドンタコスマーチをやってほしい。
しかし、このアルゴリズム行進を聞いていて、「踊りだけではなく歌詞も非常に深い意味を持っているのじゃないか」と思いついた。
特に、自分はIT業界に所属しているのでつい最近の事象に重ねてしまう。これはIT業界における処世術を歌っているのではないだろうかと。
- 一歩進んで前倣え
まず、最初は一歩進むのである。ほかのプレイヤーより一歩先んじるという意味だろう。しかし、一歩進みつつも前例に倣うのだ。
そう、LiveDoorはほかのプレイヤーより一歩進んだ技術を持っていたはずだ。その癖してホームページのレイアウトなどは Yahooなど、前人のパクリだ。これは、見事にアルゴリズム行進のメッセージにしたがっているのではないか。
- 一歩進んで偉い人
言わずものがなだろう。そのような戦略でもさらに推し進めればえらい人になれるという意味である。衆議院選挙に立候補したころのホリエモンを思い起こさずにいられない。
- ひっくり返ってぺこりんこ
踏ん反りかえるような立場にたどり着いたとしても、一転立場が変わってペコリと謝らなくてはならないこともある、という諸行無常さをあらわしている。そう、今までやっていたことが全否定されたら、素直に謝るべきなのだ。裁判中のホリエモンにこのメッセージは届いていないようである。
- 横に歩いてきょろきょろ
これは、すっかり落ちぶれてしまい、人生を模索している時期を示している。
今までは一歩ずつといえども前に歩いていけた。それがこの段階では前に進むことさえ自信がなくなって横に歩くようになっている。
だが、再起を果たすにはそういう模索の時期が必要なのだ、という熱いメッセージであると思いたい。
- ちょっとここらで平泳ぎ
これはよく分からない。
ハリケーンカトリーナによるニューオリンズの水没を意味した詩だとも、AJAXの流行を予言した詩だとも言われる。
そのようなオカルトじみた解釈はとりたくないのだが、今までの内容のから考えるとあながち否定できない。
とりあえずここの解釈はおいて次に進もう。
- ちょっとしゃがんで栗拾い
これは平易だ。
道に落ちている栗を拾わねばならない時代も来るということだ。ただ、横に歩いていたころのような迷いがなくなっている分、「平泳ぎ」時代に吹っ切るきっかけがあったのかもしれない。
- 空気をいれましょシュッシュ
もう、落ち込んでいるのではなく次のビジネスに向けてエネルギーをためている、そういう状態である。この業界で生き抜くためには、一度の失敗で懲りているようではだめなのだ。そのための再起の始まりである。
- 空気が入ってピュッピュ
主流の解釈としては、エネルギーも溜め込み、次の事業を開始するさまを表している。
人に空気を入れられて踊ることも重要なのだ、という異説もある
以上で一ターンが終わりだ。
これが数ターン繰り返されることになる。1回でめげず何回も挑戦することを教えてくれる、人生の浮き沈みを伝えたなんとも深い詩ではないか。
- ちょっとここらでおわりかな
ターンが終わるとこの句が数回繰り返される。自ら、自分のIT業界における終焉を告白するかのようなこの句、今までの解釈とあわせて味わえば非常に感慨深い。自分で自分の終焉を知ることこそ重要だ、という気概を知ることができる。
おしまい
以上で、アルゴリズム行進のなかにあったメッセージを解説しきれただろうか。
このような深いメッセージを持った歌だ、刑務所で歌われるのもむべなるかな、という気がしてくる。きっとフィリピンの受刑者は心を改めたことだろう。
読者の皆さんも、実際に歌い、さらには行進することによりこのメッセージを感じてほしい。