cdmaOneのすっぱい記憶

池田先生の、相変わらずあおり気味の entry、「auはなぜつながりやすいのか」はてブ人気エントリーにはいっているのが見えた。みんな、こんな詰めの甘い話で納得してるのかなあ、と怖くなったので書いてみる。それとも単なる読み物としてブクマしてるんならいいんだけど。

まず、ICTに関して政府は放任したほうがいい、というのが主張だけど、アメリカでは「2Gのころに政府が介入なかったのは失敗だった」っていう論が少し前ははやってたはず。なにしろ、i modeや写めーるとかの日本の進んだ現状を横目で見ながら、自国では州の間のローミングも怪しい、っていう状態だったから。

それとちと面白い意見も見かけた。「携帯電話市場の発展:日米比較」- Stanford Japan Centerは学生の宿題のようで、ややまとまりがないが、比較する糸口にはなる。それによると、アメリカでは電話番号体系がまずく、日本のように携帯専用の番号を割り当てなかったため、携帯電話を受けた側に課金がかかる料金モデルになってしまったという。そういう経緯だったのか。ここら辺、政府の介入のうまさが問題になる例だ。

それに、池田先生のあげている日本の3Gの例も、結果的には政府はそんなに悪くない選択をしたともいえる。

でも、個人的には日本政府の介入のせいで、東京にセルラーグループ (京セラ) が進出できなかったのが悔しい思い出だ。政府が地域ごとにキャリアを 2社になるよう絞ったため、NTT以外の 1社の枠を京セラとトヨタで分け合った結果だ。

cdmaOneが始まった当時、セルラーグループのほうが IDOより端末もプラン料金も安かった。なんで東京でサービスしてくれないんだと歯噛みしたものだ。まあ、貧乏学生の僻みであり、全体としてはよいことだったのかもしれないと今となっては思うのである。