スイカはニーズを持つか?

「テレビ放送局にとってはニーズなんか二の次だろ」と、「需要無視の“内情”を露呈した「YouTube 対 テレビ局」」の記事を読んで思った。のでメモしてみる。

この記事は、放送局がネット利用者のニーズに答えていない、という骨子で書かれている。

でも、テレビを見るのは暇な人だ。何か物や有益な情報ががほしいわけではない。それをまるで必要だから金を払っているかのように「ニーズ」(需要) という言葉で語ってしまってはいけないのだろう。そう、テレビ局は視聴者のニーズなんかに昔から答えていない。

(民放)テレビ局が本当にニーズを気にすべき相手はスポンサーだ。視聴者のアテンションを買ってスポンサーに売り渡す、そういう商売である。放送局にとって視聴者は商品で、農家が売るスイカと同じだ。放送局が視聴者の空っぽな頭を叩き、「いい音するでしょ」とアピールしているのが頭に浮かぶ。

もちろん、商品であるわれわれも、何かの動機を持ってそのアテンションを売り払ってはいる。テレビ局もその意志をまったく無視するわけにはいかない。

しかしそれを分析するのに「視聴者のニーズ」というマーケティング用語を用いるのはミスリーディングになるのでは。まあ感情移入して「スイカのニーズにこたえた肥料をやらなかったため、不作になった」という言い方をするのもいいのかもしれないが。

蛇足だけど、Googleが利用者であるわれわれを扱う方法にも通じるはずだ。これがどういうことを意味するのかはよくわからないけど。