ニーズと乖離する日本の経営者(なのか?)

前からわだかまっていたことなんだけど自分で考えていてもよくわからないので日記に丸投げしてうまく読者の意見を聞けたらラッキーという、他力本願メソッドの entryです。

Stage6のユーザの半数は日本からだというニュースがあった。Stage6のみならず YouTubeでも日本人の利用率が高いのは周知のとおりだ。

その一方、日本国内ではこういったサービスは提供されていない。ワッチミーとかのサービスはあるが、はっきりいって対抗馬ではない。YouTubeの、投稿したら検閲なしにみられる機能というのは本質的な差異だ。それができてない以上、別のニッチにいるとみるべき。

でも、なんでこんなにはやるとわかっていながら、日本人は動けないんだろうか? マスコミの人も、プライベート、いやきっと仕事場でも YouTubeは見てるだろう。YouTubeをみないでいまの日本の最先端の空気を感じられるとは思わない。ポリシーで YouTubeをみない人ばっかりの放送局とかあったらかっこいいけど、山口判事のように餓死するのが落ちだろう。

その一方、社としてはJASRACと結託してYouTubeに消せと脅しをかける。下半身と上半身でやっていることが逆だ。

おれもUSのメディアに詳しいわけじゃないので、USの放送局やレコード会社がどういう対応をとっているのかはちゃんと追ってはいない。しかし、もう少し現実的な、言動一致した対応をとっているんじゃないだろうか。

日本でもはてなのようにフラットにみんなで考える文化を持った会社もあるが (と持ち上げておく)、それはやっぱりニッチだ。

著作権の強すぎる締め付けに対する動きは匿名集団のなかで Winnyのような脱法的 (いや、これが違法かどうかも俺は立場を決めかねてるんだけど) なものにしか昇華しない。そして警察に捕まえられて、本質的な問題は雲散霧消するだけだ。これはこれで不幸であるが、ガス抜きとしてはよくできている。

ここから、「建前と実情が、現場と経営者が乖離している日本」という問題に敷衍しようとしたんだけど、おれにはその能力がなかった。でも、経営者が下 (これはユーザではなく社員という意味かな) の声を真摯に聞かずに、漫然と「俺ルール」で経営を続けているのはあるんじゃないかな。なんでなんだろう。

また一相対主義者として考えると、それによってもたらされる強さって言うのもあるんだろうなあ。どういう条件のときに建前経営が強くなるんだろう? 日本のそういう経営を温存したままでいるためには、いまの「Openで User Centricな Web2.0の社会」は向いてないんだろうか? それともレトリックで乗り切れるかなあ。目指せ縦横家