生産性議論のメタ議論

おれも山形さん vs 池田先生の空中戦、読んでいました。おれの出る幕じゃないなあと見上げていました。
でも、いつの間にか空中戦じゃなくて、小学生が放課後の廊下のタイルの上で取っ組み合ってるように見えてきました。で、えらそうに上から眺めた振りをしつつこんな entryを書いてみたりするわけです。そんなところでやってると服がよごれてかあちゃんにしかられるよ。そこ、おれ掃除サボってゴミだらけだし。

ベースレベルの議論のまとめは、id:fromdusktildawnさんの書いた内容がジンテーゼっぽくていいと思う:

今回の生産性論争は、

ある産業(製造業)の生産性向上が、他の産業セクタ(ウェイトレス)の賃金にどれだけ影響するのか?

の影響の程度(湯加減)についての議論でした。

今回の生産性論争の流れを簡潔・公平・分かりやすくまとめてみた - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

別に、双方とも経済学的な骨子としては間違っていない。後は定量的な話か、実際のモンダイにどう応用していくか *1

でもなんでそんなのがこんなに紛糾するか、というのがメタな話です。

池田先生は、いみじくも自分ので、山形さんの意見について、以下のようにまとめてます:

君の話を整理すると、こういうことになる:

A. 個々の賃金水準は個々の生産性で決まるんじゃない
B. 個々の賃金水準は個々の生産性で(ある程度)決まる

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/da4a4e6c3d49221f8b9e2887069fc623

そして、Aは Bの否定だとして、両方を主張する山形さんは矛盾していると。

で、なんとなく「地球が何回回ったとき?」と口を尖らせて聞いている小学生のように見えてきました。

まあ、確かに Aを「個々の賃金水準は個々の生産性にはまったく影響されない」という風に読めば、矛盾です。でもあの文脈なら「個々の賃金水準は個々の生産性だけで決まるんじゃない」とも読めるじゃん。そこを矛盾としてしがみついてしまう。
それしてわざわざ 「徹頭徹尾ナンセンス」と書いて entryを作ってしまうあたり、単なる喧嘩家のようにみられてもしょうがない。マスコミ上ではそういう言いっぱなしでもよかったのかもしれないけど、blog上ではそういうささいなことで読者に不信感を与えてしまう言動は避けるべきだと思うけどな。実際、俺は池田先生を「ネタは豊富だけど、勇み足が多く鵜呑みにしちゃいけない先生」としてみなしているわけだし。

確かに山形さん言論の曖昧さが目に付かなくもないけど「山形君の言うのはそのまま解釈すると間違っちゃうよ。正しくはこういう意図だよね」っていう松尾先生の日記みたいなのだと、俺なんかは非常に信頼しちゃうんだけどなあ。

いや、絶対に不信感を与えないように書かなきゃいけないってことはもちろんないよ。トリックスターの価値はそこそこ認めているし。でもトリックスターとしてはやっぱり山形さんや fromdusktilldawnさんの方が上だ。

やはり山形さんの言うように「山形が嫌いだというだけ」ではあるのかもしれないのかなあ。

まあ、学者としての限界生産性からみると「ここら辺であおるのが一番生産性が高い」っていう賢明な判断なのかもね。別に日本の blogosphereから不信感をかったりしても。もっと踏み出して、読者を寄せるために俺も認めるようなトリックスター化してしまうと、池田先生の収入 (の期待値) は落ちてしまうのかもしれない。

限界生産性の議論は役に立つなあ(棒読み)。

*1:応用すべき問題によって、温度の感覚は異なります。ガーナにいて、ガーナの人の生活をよくしたいと思えば国の間の賃金格差が熱く感じられるでしょう。日本国内だけ見ていれば、やっぱり生産性がそれなりに賃金に反映されている、と見えるかも