醤油飯にみる動物化

白人と日本食を食いにいくと、やつら、白米の上に醤油をかけて食います。主食とおかずっていう対立項がなくて、メインディッシュに対する付け合せぐらいに思ってるのかも。マッシュポテトにコショウかけてるのと同じ。

そういうのを苦々しく思いながらも、まあ、彼らにとってはそれがうまいんだからいいじゃん、って思う相対主義の俺がいるわけ。いや、日本人にとってもきっとうまいよ。刑務所の中 (講談社漫画文庫)でも恍惚にいたってたじゃん。たぶん、それでどんぶり3杯はいけるよ。

でもそれをしないのが「文化」ってものなのかもしれない。うまいとかうまくないじゃなくて、そこにある規範を守る。いくらうまくたって、ムスリムは豚肉を食わないのだ(余談だが日本にいた知り合いのムスリムは、とんかつをチキンカツだと思ってバクバク食ってたらしい。彼に幸あれ)。意味はないのかもしれない。けど従うことで意味が出てくる。

醤油を飯にかけて食うというのは、文化をないがしろにしてうまいという本能だけにたよる「動物化」してるなあ、と彼らが食ってる様子を見ながら思ったんですが、いま書き下してみると無理がありますかね。すみません。「2007-02-19」を読んでからそういうキーワードが脳内で活性化してしまって。