ハッカーである方法

ハッカー養成塾:ハッカーへの遠回り」を読んで煽り気味に書いていたら支離滅裂になってしまった。これはだめだろうと書き直していたら、煽りたくなった原因がわかってきた。

単純にひげぽんさん (やブクマした人) と俺とで「ハッカー」って言葉の使い方が違うのだ。それだけのことだ。

別に言葉の使い方が違うからって煽る必要がない。それを煽っていては、逆に「文脈による言葉の意味を読み取れない馬鹿」と煽り返されるだけだ。危ない危ない。

と、ここまで言い訳を書いたところで、やはり胸のうちでくすぶるものもあるので俺の言うハッカーを定義しておこう。

それは「ハック」する人、すべてがハッカーである。

ハックというのは別にプログラミングに限らない。山形裕生さんのWhat's a Hack?にあるように、もともと Hackというのは癖がある単語をひねって使ったようなjargonだ。料理も hackだしいたずらも hack。最近流行の LifeHackだってそうだ。

そしてその中には「ハック精神」というべきものが通じてある。すくなくともそういう気が俺にはするのだ。

技術中心主義かもしれないし、反骨精神かもしれない。スノビズムもあるだろう。

でもそれは単に「すごいプログラムを書く人」とは違う。ひげぽん氏のいう方法は主にすごいプログラマーを目指している気がする。でも単にプログラミングがすごいというだけでハッカーといって欲しくない。そう思ってしまったのが俺が煽る原因なのだ。

では俺の言うような「ハッカーになる」方法はあるのか?

ハッカーに必要なのは好奇心、発想力と行動力だ。対象を観察し「これをこれを組み合わせれば、なにか面白い仕組みが作れるんじゃないか」という発想力。そしてそれを邪魔するものは避けてしまう実行力。「正しくないかもしれないけど、やりたいことをやっただけ」とうそぶくスルー力とかも必要かもしれない。

そういういみでは、ベービーベッドにいるころ、目の前のガラガラを見つめ、「これを振ったら何か音が出るんじゃないか?」と手を伸ばした段階で、あなたはもうハック精神を持ったハッカーなのじゃないだろうか。

人はすべてうまれながらにしてハッカーである。大切なのはその精神をなくさないことだ。自重したい。