魚には水が見えない

時代はくり返すものである、という諦観もいいけど、いまは何かが恐ろしく変わっている時だ、と思った方が世の中は面白い。そういう意味でスゴ本ブログのエントリを読んでみると恐ろしくなってくる。


 「最近の若者はダメだ」は昔から言われているが、特に今の若者はひどい。まず、当事者意識が完全に欠如している。さらに、独り立ちをしようとせず、常に何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけようとしている。これはゆゆしき事態であり、日本社会のありかたにかかわる重大な問題である。
≪中略≫
 ―――――― という評論を読んだ。「モラトリアム人間の時代」(小此木啓吾)というやつ。途中で気づいた方もいるだろうが、本書は今から30年前、つまり1977年に書かれたものだ。欠けてる言葉は「ひきこもり」と「NEET」ぐらいで、あと「ネット」を足せば今でも立派に通用する。

これを「「オトナ」は昔からこうやって若者に小言をいうもんだ。でも時代は回りつづける。そんな小言は無視しちゃえ」という風に読むこともできる。


でもこの言葉を真摯に受け止めると「そんなやつらが「オトナ」になって当時者意識もなく日本を牛耳ったから、こんな日本になっちゃったんだ」ともいえるんじゃないか。


もうすこし、当時の若者が真っ当であれば、バブル後の失われた10年のようなこともなく、2007年の日本の社会も未来への希望が持てる、「美しい国」とかいう寒いスローガンを出さなくてもよいものになっていたかもしれない。


だから俺たちが頑張らなきゃ、とはいわない (第一俺はもう若者じゃない)。でもくり返すから無視しようじゃなくて、そこから変わるものと変わらないものを読み取っていった方がいいんじゃないかな。


個人的には「本当の自分は棚上げしておいて、いつまでも立場を替え、考えを変え、自分自身をも変身させる余地を残しておく。」ってところが、鈴木謙介のいう「キャラを選ぶ社会」のようなものがみえて、それが当時から始まってたんだと納得しちゃったけどね。やっぱりずるずると変わってはいるはずだよ。たぶん、俺たちも変わっているからそれに気がつかないだけで。