「おもてなし」こそコモディティ化している

「おもてなし」というのも曖昧な単語なので、噛みつこうとしてもうなぎのように逃げていっていそうだ。でも蛮勇を振るって、「おもてなし」が日本の強みだという弾さんの説には噛みついておこう:

experience という、日本にはなくて輸入してくるしかなさそうなものが、じつはおもてなしという、日本が最もふんだんに持っている資源であることを見いだした、ということなのです。

【Watcherが展望する2008年】 コモディティとならざるもの | 日経 xTECH(クロステック)

確かに日本というのは確かに「おもてなし」が発達していると思う。とくに、アメリカにすんでみるとそう思うことしきりだ。
ファミレスでは「おまたせしてすみません」とウェイトレスが来て、コンビニでは「スプーンは必要でしょうか」と聞いてくる。蒸し暑さと人ごみがあったとしても、一週間日本にいるとアメリカに戻りたくなくなる。

しかし、アメリカではウェイトレスは無愛想だ。もちろん愛想がいいのももいるが、チップ目当てだ。ウェイトレスごとに縄張りがあるので、用があって通りかかったウェイトレスに頼んでも、「あんたのテーブルは担当じゃない」と無碍にされることもよくある。

でもこれは、アメリカでは「おもてなし」は貴重な資源だとちゃんと認識されているってことだ。現にサービス業ではチップというおもてなしの「対価」を当然のように要求する。現金ではあるが、高い店ではウェイター・ウェイトレスはフレンドリーであり、顧客の希望に応じたサービスを行ってくれる。

それに対し日本では「おもてなし」はただだ。マクドナルドに「スマイル 0円」なんて書いてあるのは日本ぐらいじゃないだろうか?

つまり日本でのおもてなしはコモディティ化し、価値は暴落してしまって、おもてなし市場は崩壊してしまっているのだ。もう、おもてなしを付加価値にすることはできない。「おもてなしがない」ことがマイナス要因にはなっても。

それに「おもてなし」こそ若者をコモディティにして成り立つものではないか。あの腐れたマニュアルどおりの会話。本質的ではない言葉尻につけられるクレームへの対応。

そしておもてなしにはキリがない。金をかけなくとも時間をかければかけるだけおもてなしの水準は上がる (比例せず、対数関数的にだが)。それが故に若者は常におもてなしを増やすようプレッシャーをかけられ、サービス残業を強いられ疲弊していく。

一点、たしかにおもてなし市場が機能している海外に、おもてなしを「ダンピング」しにいけばその市場はとれるかもしれない。でも、それはトヨタが世界シェアトップになっても日本の労働者は幸せになれないのとおなじ状況を作り出すだけじゃないだろうか。

ということで「おもてなし」を売りにするのはよした方がいいと思うのです。少なくともダンピングした形ではね。