お金を払う事自体が幸せ

金っていうのはややこしい。単に増えれば嬉しくて減れば悲しい物でもない。「MikuMikuDanceの作者が寄付を拒否し、振り込めない詐欺と呼ばれている」というITmedia の記事をみて実感した。

初音ミクにもニコニコ動画にもあまり興味はないが、払いたい側の気持ちはよく分かる。
参加したいのだ。金という媒体を使って、自分の嗜好を表明し、大げさにいえば自分の存在を確認したいのだ。好きな物に金をつぎ込むっていう行為は、そういう自己陶酔的な感覚と分かちがたく結びついている。

それは、なにもオタクな分野だけに起こるのではない。id:fuku33さんのいうフェアトレードにおける付加価値もその一種だろう。身銭を切って貢献するからこそ、消費者は幸せになれるのだ。

またそういう意味で、かんべえさんが紹介するオバマの選挙戦略も興味深い:


それにしても、上記のメールを読んでしみじみと感じるのは、オバマ陣営にとって寄付を集めることは"Add your voice to our movement"なのであって、金額の問題なのではないのですね。3月4日までに50万人の寄付を集めるという目標は、50万人の有権者を政治にコミットさせることを意味します。身銭をはたいた人は、そのことを決して忘れないでしょうから。いろんな意味でオバマの選挙手法は革命的です。ユーチューブならぬ"You choose"ってことですかね。
オバマにとっては、寄付をもらうことはお金をもらうだけではなく、一緒に期待とか注目とかももらっているのだ。寄付した人は、それでコミットした充足感を得る。

ここから話を膨らませることは、未熟な自分にはできないけど「いいものを安く売る」ってだけの商売じゃお金は回らない世の中になってきているのだなあ、というのを実感してきた。金には、それを稼いだ人の思い入れが付いてまわり、その思い入れを喚起する形でこれからの経済は回っていくのだろう。いや、もうすでに回っているのだろう。