オープンソースって誤解されるのがそんなにこわい?

おくじさんからも生越さんからも返事をいただきありがたい。

二人の反応から感じたのは、「オープンソース」という言葉の使い方自体についてずいぶんと気をつかってるんだな、ということ。

そもそも出自からして、スーツにフリーソフトウェアのようなものを宣伝しようとしてできた微妙な buzzwordだ。素人が単純に扱えるものではないらしい。文脈、聞く人、空気などを読んで使わねばならぬようだ。くわばらくわばら。

でもそういう脆弱な単語にマーケティングを依拠しているのはどうなんだろう。とも思うわけです。Web2.0時代 (ってのも歯が浮くけど)、ロングテールがごちゃごちゃいうこと自体が宣伝になる時代に、使い方を誤ると DISられちゃうような脆弱な用語って。「オープンソース」に脆弱性発見、って bogusnewsのネタになっちゃいますよ。

評論家梅田望夫が「ちょっとネガティブに捉えられる危険を持った簡潔な答え」をいって誤解されたとしても、衆知がそれを修正してくれる、ぐらいののりじゃないと本物のムーブメントは起こせないんじゃないでしょうか。「オープンソースは実際にいいものだ、ほっといても広まっていく」ぐらいの鷹揚な気持ちをもって進めていかないと。「利己的って言葉は間違えやすいけど、こういう意味だよね」ってみんなで修正し合う。

それなのに、オープンソース関係者の過敏な点が目につくのが疑問なのです。もう LAMPWebサービスを提供するまっとうな環境として認知されてる現状で、なぜそんなに神経質になるのか。過去、お二人は俺と違って、オープンソース (及びフリーソフトウェア) の普及に身を粉にした経験がある。その苦労がそうさせるのかしらん。フォーサイトの読者に誤解されるってそんなに大変なことなのか知らん。

そこらへん、おくじさんの「オープンソースの誤解がよろしくない理由」に書いてあるかと思えば、「勝手に決めた視野の狭い定義にしたがって、 オープンソースの守備範囲を狭めることは、 百害あって一利なしです」という通り一遍の話しかない。多くの単語は誤解にまみれてミームの海を渡っている。なぜオープンソースだけがそんなに問題になるんだろう? 身勝手ではあるが、もうすこしそこを詳しく聞きたくなった。

あと、おくじさんと生越さんは具体的にはいってることが違う (生越さんは「誤解を生みやすい表現」といってるのに対し、おくじさんは「全然違います」といっている) とかあるが、お二人ともとりあえず「誤解のひきおこすこと」を気にしているみたいなので、そこを中心に書いてみた。別々に考えたことを書こうかとも思ったけど、瑣末になりすぎ、自分ではまとめられなそうだったので。そこら辺、時間とか機会とかノリがあったら書くかもしれないし、howm上で終わってしまうかもしれない。が、メモしとこう。