不謹慎な俺

生越さんの以下の論を呼んで、fj.misc.earthqueaksだかにあった「神戸に観光にいってもいいでしょうか?」という記事を思い出した。だけの一人がたりです。

しかし、そこで「不謹慎」という言葉で思考停止を要求するなら、件の事件は「単なる不幸な出来事の一つ」で終わってしまう。どうせ野次馬という悪趣味不謹慎は誰の心にもあるのだ。だったら、それはうまく飼い馴らすべきことじゃないのか?

事件現場の写真は不謹慎か | おごちゃんの雑文

そもそも fj.misc.earthquakeというのは、阪神・淡路大震災のときに NetNews上に緊急避難的に立てられた NewsGroupだ。主に被害情報、安否情報、生活情報などが流されていた。当時、インターネットというメディアが (パソコン通信との相乗効果で) 社会に貢献できた例として、非常に記憶に残っている。

そのなかの一つのスレッドに「神戸に観光にいってもよいでしょうか?」というのがあった。震災後、一ヶ月もたってなく、被災者の生活も立ち直ってないし、まだ悲嘆にくれているひとも多かった頃である。当然、ほぼ全ての投稿者の袋叩きにあい、擁護する意見もほとんどみられなかった。

今風に言えば、やはりこの記事は「釣り」だったのだろうと思う。本当に観光にいっていいと思うなら、黙っていけばいい。実際にそうした人もいたことだろう。それをわざわざ被災者も集まる fjで聞くなんて釣り意外にありえない。

だか、私はこの記事に石をぶつけられた気分になった。私自身、テレビの画面で、fjのスレッドで野次馬的に震災を楽しんでいたのではないかと。観光にいこうと、離れた場所で見ていようとその精神は変わらないんじゃないか。そもそも、観光なんて自分と異なる境遇の人間を面白半分に見にいくためのものじゃないか。そう嘲る投稿者の姿が見えた気がした。

もちろん、被災者の方やその関係者には憤る権利がある。しかし、そのまわりの正義感ぶって叩いている人たちが怖くてならなかった。安全圏にいて叩いているようにみえても、初投稿者の鋭利な刃物でさくっとその野次馬精神もろともえぐられてしまうかも知れないぞ。そう思ってかたずを飲んで、ブルボッコにされながらもひるまない初投稿者を見ていた。残念ながらどういう終わり方をしたのかは覚えていないが。

いまなら言えるが、やはりそういう行為は謹むべきであると思う。自分なら、その現場に立ち会わせても Ustreamで中継などはできない。できない自分のチキンさを恨むほうが、して後悔するよりいい。

はっきりいって、こんな特殊な通り魔事件自体は、矮小化してしまったほうがいい気もする。野次馬が集めたディテイルを知ったって、救いにはならなさそうだ。被害者の関係者も、蓋をして忘れ去るしかないのじゃないか。

だからといって生越さんの、野次馬精神擁護意見を叩く気にもなれないのは、やはり神戸観光旅行のころの精神もまだ残っているのだろう。所詮、野次馬精神を持って生まれてきた身である。「この口が言うのか」とひねられそうである。

自分の負った業と自覚し、優柔不断に生きていきたい。