渡辺千賀さんとアメリカのアーキテクチャ

アメリカに住んではいるのだけど、渡辺千賀さんの書いているような低所得者の集まる病院における危険については知らなかった。
もちろん自分の世界が狭いせいもある。そこそこ金をもらってる日本人として、ぬくぬくと私立病院にかかる自分としてはそんな目にあったことがない。まわりの人たちも同じような、ある程度高学歴高収入な人ばかりあつまり、低所得者の現状は知らない。たまにゴミ清掃のスパニッシュをみて、この人たちは家に帰るとどんな生活が待っているのかと想像するだけだ。
そんな中、多分俺よりも高所得であろう渡辺さんがそういう情報をちゃんと集めているのがすごいと思った。別に知ろうとしなければ知らなくてもすむことである。お金持ちとのんびり過ごしていれば大丈夫なはずだ。それをちゃんとアンテナを張ってるところがさすがだと思った。
言い訳させてもらえば、これは俺の怠慢だけが悪いのではなく、アメリカというのはそういうのを隠すアーキテクチャができあがっているのだ。隠す、といってももちろん見えないわけではないが、考えなくてもすむ、石ころ帽子を被った存在になっている。わざわざ注視してみないと見えない。普通に生活している分には罪悪感とかを感じなくていい。
アーキテクチャというのは、Lessigが CODEで指摘したのとおなじ意味だ。そしてそれは、不快な情報をとりのぞいて快適な環境を作り上げることもし、社会を停滞させる。アーキテクチャはモラルよりもつよし。
日本でもそういうアーキテクチャはできあがりつつあるのかもしれない。それで「派遣村」といって貧困層を可視化させたりすると、叩く雰囲気ができたのかも。
なんだかんだいってアメリカではまだチャリティー精神は旺盛なので、一定数気にかける人はいるが、日本ではそういうアーキテクチャが完成されてしまったらどうなるのかなあ、とぞっとしなくもないのだった。