日本のもっちーは残念

みなさん、こんばんは。よくみてみると3ヶ月ぶりのごぶさたですね。とか親しげに書いてみましたが見てくれてる人もいるのかあやしいですが。

いまさら日記をまた書く気にはなったのは、うめだもちおとオープンソース界隈がまた姦しいからです。以前、もっちーを擁護した身としては見過ごすことはできません。
とはいうものの、日本のWebは残念に端を発したなんだかんだはちっとも追えてないんですがね。追うほどのことでもないかなと。

そんなかで「「オープンソース」の二つの意味」って八田さんの論考をよんで、これっておれがいってたことじゃん、とおもいなおしたのです:

「開発していく方式」に対する批判も、なんか本末転倒な感じがする。「オープンソースライセンスの定義」が生まれるまえにはオープンソースな開発手法ってのが意識されていたでしょう。それは Proprietary な開発手法に対する *1 アンチテーゼのように。本来、そういう開発手法があって、それを実現するための道具としてライセンスを云々したように感じます。それを「ライセンスでこうだったらオープンソース」というのは、オープンソースを矮小化してる気がする。

http://d.hatena.ne.jp/hujikojp/20080320/selfish_progammer

といことで、このエントリーの主眼は、「そんなことぼく、まえからいってたよ!」という自慢でしかないわけですが。

でもちゃんとひがさんのエントリをみると、もっちーはパワーアップしてるな。「オープンソース的な活動」といって以前よりさらに危険な用法を使っていつつそれが日本ではダメだとDISってるあたり、ひがさんらの、以前からコンテキストを知っている向きには我慢ならないのでしょう。
もっちーもそういう炎上しそうな言葉を使っているのは脇があまいと思うけど、それに載せられてしまうのもやっぱりつられすぎとおもうのです。言葉狩りと同じレベルの気がします。DISるんならid:kotorikotorikoさんのように昇華して一つレベル上にいてほしいもんです。

いずれにしても、「残念」発言あたりから広がるネタは、もっちーサバティカル中に脱皮、いやそんなものでなくサナギになって自意識までどろどろに溶かして変態する過程における副産物なんだろうなあ、とおもって、擁護派としては生温かく見守っていきたいと思います。きっと半年ぐらい後にはid:kotorikotorikoさんが予言したような「ネオもちお」になって、また「日本のweb」(もしかしてはてな村)をもりあげてくれることだろう。期待してる!!