久しぶりに書いてみる

1年ぐらい放置してたかなあ、と思ったら1月に書いてたんですね、この日記。読んでる人ももういない気もしますが、所詮自分の中にたまった毒をはく場所をまた新たに作るのも面倒くさいので再利用します。
まあ、どうせ煮詰まった中二病的なことを書くだけなので読者もいらないし、はてな記法もすっかり忘れちゃったけど、他のネットとは関係なく、だらだらと文書を書くだけならいいでしょう。と。
うまく見えてますかね。アルジャーノンのお墓に花を供えてくれたでしょうか。

アンチヒューマニズム、もしくは中華反人民共和国

最近は中国の無法ぶりがひどいようで。ノーベル平和賞受賞の対応もしかり、尖閣諸島への対応もしかり。実際に暴動のようなものの被害にあった話なども聞き、向こうで生活している皆様は(日本人,中国人限らず)大変だと同情する次第です。
ただ、そこで中国はひどい国だと怒る気にもならないのは、向こうの状態を考えるとどうしようもないんじゃないかな、という気もしてくるからです。
西側諸国がやってきたように、ちゃんと民主化して基本的なヒューマニズムが守られるようにすれば問題無かといえば、それはもっとでかい問題になるだろうという気もします。国の分裂まで視野にいれないといけないでしょう。
さらに一般論でいえば、そんなにヒューマニズムを推し進めることがただしいことなのか?っていうのが中二病的に湧き上ってきます。
確かに人間であるだけで認められて、基本的人権があって平等になる、というのは非常にうれしいことではあります。実際に自分もそういう体制の利益は享受してきています。それを否定するのは、心苦しくもあります。
だけど、中国13億の国民、いやさらにインドとかも含めた数十億の人間がそれをもとめて地球はやっていけるのか、とか思うと否定的にもなります。
所詮、西側先進諸国(および日本)は先行者利益でそういう生活を享受できているのみで、その原則をグローバルに広げるにはむりがあるのでは。
地球物理学の丸山先生辺りは、「ヒューマニズム」という考え方を地球史的観点から評価してるみたいにも思えますが、個人的にはそんなのは幻想に過ぎなくも思えます。たまたま西側諸国では食べ物がそれなりにあふれているからいえているだけで、一度氷河期でもくれば「ひゃっっほー、ここは遠さねえぜ!」という世界になるのでは。
そういう中、中国は新しい体制の国家運営を試みている用で、社会実験として頑張ってほしい、という気もします。だいたい、一人っ子政策という無茶をやって、将来の人口構成がぼろぼろになることも顧みず周囲の国の環境を守ってくれたともいえますから。
近代的民主主義にかわるなにかをつくってくれたりするのかなあ、と恐る恐るみていたりします。

いや、ベッドで考えていて筋が通ってたとおもってたけど、やっぱり書いてみるといろいろボロがあるな。まあ、とりあえず吐き出したので寝よう。

おもてなしとポトラッチ*

黒須先生のnaverでのインタビューに「UXはおもてなしではない」とはっきり出てくる。
たしかにそうだよなあ。「地獄への道は「おもてなし」で敷き詰められている」とかでも、その点に気づけばもっとはっきりいえたんだろう。
UIは、人との界面に集中しすぎて全体の体験を蔑ろにしすぎることがある。日本におけるおもてなしも同様だ。作法とか下らないことをいいすぎて、おもてなしのポトラッチになる可能性がある。それがUIでも同じことになるのを、前エントリではいったつもりだ。
というか、もう日本の携帯電話会社はポトラッチに巻き込まれて死につつある。

そういうわけで、やっぱりおもてなしはよそうよ。で、どうするかというともしかして黒須先生が後半でいっている「文化」との関係がでかいのかもしれないなあ。逆に文化を破壊できるようにしないといけないかもしれない。

ということで、UXは文化大革命と訳しましょう。あれ。

ズッ婚バッ婚は日本の恥

2chでは色々と造語ができる。表題に選んだ「ズッ婚バッ婚」というのもそうだ。いわゆる「出来婚」、最近では「おめでた婚」といわれるやつである。まあ、2chによくある侮蔑語の一種である。
そんなのだから表題のようなスレッドが立つのは珍しくない。自分もそのスレタイを見たときは別によくあるスレだなと思っただけだ。

しかし、考えてみるとこれは深いのかもしれない。
妊娠したからといってなにも結婚しなければいけない道理はない。海外に目を転じてみればシングルマザーはそう珍しくない。ラテン系など避妊の文化がないところでは特にそうだ。

それなのに、妊娠したら結婚とせねばならない日本の社会を恥じているのではないか。シングルマザーとなっては生活することも立ちゆかない。単に経済的困窮だけではなく社会的非難も受ける。それを避けるためには、なんとしてでも、単に遊びでセックスしただけの相手でも結婚しなければならない。そこで女性の選択は狭められてしまう。

そんな「ズッ婚」をしなければならない日本の後進性、女性への抑圧を訴えたスレなのかなあ、と夢想して静かにブラウザを閉じたのだった。

「サークルクラッシャー」

Google IME使ってるんですけど、ちゃんと予測変換に出てきますね。「サークルクラッシャー」って。
いや、ここで「ちゃんと」と書くあたり、おれもだめだな。そんなもの世間で認められた単語じゃないのに。そんなのが出てきてもちっともちゃんとしてない。

で、このエントリはそのサークルクラッシャーって言葉に関する嫌悪感というか、違和感を書くものです。少なくとも、素では使いたくない言葉です。(笑)とかつけながらじゃないと使えない。

童貞率の高いサークルで女の子が来てサークルが壊れた。そういうことはよくあることです。友情よりも劣情が優先されるのは世の常です。それは否定しません。

ただ、「サークルクラッシャー」という言葉は、その原因を女の子に求めてるような気がするのです。「原因」なんて言葉を使うとややこしくなるのですが、そもそもは未熟な、友情と劣情をバランスさせる方法を知らなかった自分たちが原因だろうに。

もちろん、女の子が変な奴の場合も多いでしょう。一般男子も避けたがるようなイカ臭い集団に入ってきて、ストレスを与えることによって自己の評価を確認する、自己愛性人格障害のこともあります。

林先生もいうように、人格障害への対処法は深入りしないことです。境界を決めて、一定以上の世話をやかないことです。

まあ、人格障害まではいかなくても、いろいろと人間関係が壊れる遠因にはなる可能性はあるとは思います。でもその責は女の子だけにではなく、未熟だった男にも充分にあります。

それをサークルクラッシャーという言葉を使って、女の子に責を負わせて安寧を得るようでは、単なる非モテの逆恨みを感じるのです。

サークルクラッシュ」という言葉あたりにして単に壊れる現象だけ見るようにすればいいのかな。でもこれじゃ一般的過ぎるか。サークルクラッシーとかいう言葉にして、壊れるサークルの方に焦点を当てればいいのかな。

着うたに見る世代間搾取

思いつきだ。

日本のauでは着うたというサービスをやっているらしい。よく分からんのだが、俺の憎む iTunesStoreよりも DRMはきつく、かつ高いらしい。まあ、ここら辺ははっきりいてサーベイしていないので間違っているかもしれない。間違っていたらいいんだが。

そんなサービスだれが使うんだ。おじさんの通勤する日本の電車の車内では iPhoneiPodか、そんなので聞いてるのばっかりだ。糞Jobsに囲い込まれてる人も多いのかもしれないが、それでも糞キャリアに搾取されるよりはましだろう。

で、ふと思い当たったのが、IPodとかに投資できない学生が利用しているのではないか、という仮説だ。学生にとっては iPodや PCに費やす数万円も大金なのかもしれない。そういう層でも、携帯電話は持っている。それなら、あと音楽を買うための数百円なら出せる。それが iTunesStoreや Amazon music storeより高かったとしても。

そういうキャッシュフローの厳しい層から搾取することによってそういうサービスは成り立っているのではないか。そしてそれなりに金があるおじさんたちは iPodリッピングしてやすくあげる。

そしてどんどん世代間格差は拡大する。というのが間違いであればいいんですが。酔っ払いが思いつきで書いたんで、間違ってるんだろうな。



12-09 追加:はてブより:

mteramoto >ケータイ料金は親が払うから本人の懐は痛くないんじゃ?

高校ぐらいだとそうなのかな。まあ、それでも本人の親への依存度を高めるっていう、経済的格差の問題になるんじゃないかな。

日本のもっちーは残念

みなさん、こんばんは。よくみてみると3ヶ月ぶりのごぶさたですね。とか親しげに書いてみましたが見てくれてる人もいるのかあやしいですが。

いまさら日記をまた書く気にはなったのは、うめだもちおとオープンソース界隈がまた姦しいからです。以前、もっちーを擁護した身としては見過ごすことはできません。
とはいうものの、日本のWebは残念に端を発したなんだかんだはちっとも追えてないんですがね。追うほどのことでもないかなと。

そんなかで「「オープンソース」の二つの意味」って八田さんの論考をよんで、これっておれがいってたことじゃん、とおもいなおしたのです:

「開発していく方式」に対する批判も、なんか本末転倒な感じがする。「オープンソースライセンスの定義」が生まれるまえにはオープンソースな開発手法ってのが意識されていたでしょう。それは Proprietary な開発手法に対する *1 アンチテーゼのように。本来、そういう開発手法があって、それを実現するための道具としてライセンスを云々したように感じます。それを「ライセンスでこうだったらオープンソース」というのは、オープンソースを矮小化してる気がする。

http://d.hatena.ne.jp/hujikojp/20080320/selfish_progammer

といことで、このエントリーの主眼は、「そんなことぼく、まえからいってたよ!」という自慢でしかないわけですが。

でもちゃんとひがさんのエントリをみると、もっちーはパワーアップしてるな。「オープンソース的な活動」といって以前よりさらに危険な用法を使っていつつそれが日本ではダメだとDISってるあたり、ひがさんらの、以前からコンテキストを知っている向きには我慢ならないのでしょう。
もっちーもそういう炎上しそうな言葉を使っているのは脇があまいと思うけど、それに載せられてしまうのもやっぱりつられすぎとおもうのです。言葉狩りと同じレベルの気がします。DISるんならid:kotorikotorikoさんのように昇華して一つレベル上にいてほしいもんです。

いずれにしても、「残念」発言あたりから広がるネタは、もっちーサバティカル中に脱皮、いやそんなものでなくサナギになって自意識までどろどろに溶かして変態する過程における副産物なんだろうなあ、とおもって、擁護派としては生温かく見守っていきたいと思います。きっと半年ぐらい後にはid:kotorikotorikoさんが予言したような「ネオもちお」になって、また「日本のweb」(もしかしてはてな村)をもりあげてくれることだろう。期待してる!!