有機化合物の塊として

はっきりいってよくわからない。医療事故を騒ぎ立て、医者の権威というものを剥奪していった国民感情の集積という面もあるんだろうが。


昨日、死産に当たった。(福○県内ではないが)
警察に届けるか迷ったが、一応、届けた。
結果は、「業務上過失致死の疑い」となった。正当な医療行為の上でのこと
と思ったので、「医療上の適応、根拠」を自分なりに説明した。
しかし、警察は「自分たちは、医学のことはわかりませんが。被害者と加害者があることだけは確か
なので・・・」とのことだった。

ブログ時評上の「医療崩壊が産科から始まってしまった」も同時に読むとさらに暗澹たる気分に浸れる。

この件に関して、だれがだれに石を投げることができるのだろう。反語でもあるが、単純に自分が混乱しているのもある。マスコミが悪いのか? 医者? 警察? 警察を叱咤する DQNな親?

命という価値が生まれる瞬間は、いずれにしても矛盾だらけだ。なぜかそこで不変で普遍の権利とされる人権も一緒に生まれてくる。この変な事実にどう対応すればいいんだろう。

たまに、有機化合物の塊としての自分を考える。その中で起こっている反応はむちゃくちゃ複雑で、そんなものが継続していることさえ奇跡的だ。そういうシステムが一つ生まれてくるなんて、奇跡に奇跡を重ねることなんだ、という自覚は持っておこう。