まずいものが食べられるのは幸せである

人間、何を食っても美味いような時期がある。そこらのコンビニ弁当から立ち食いそばからマックからして美味い。複雑な味のものも美味いとは思うが、なんで高いんだろとか、量が少なすぎると思う。

そういう時期はやはり堂々とまずいものを食うのが幸せである。小賢しく食に関する薀蓄などかたってはいけない。大体、俺らの年代では「美味しんぼ」が中高生のころはやったりして、変に薀蓄ばかり知っているのがいてよくなかった。そんなもの知らずに、歯とのど越しと胃で食えば幸せだったのに。

食い物だけの話しではあるが、そんな拘りは万事にあらわれてくる気がする。なんにでもかぶりついてみて、とりあえず味わってみるのは技術でも同じだ。口に入れてみて、これを美味いとする考え方もあるのか、と自分の味覚を再構築してみる。それだけ自分の幅が広がるはずで。

フィルタリングするのはそのあとでいい。そこでどれだけいろいろなものを食えたかで、その後の人生の食の幅が決まるはずだ。胃袋は広げられるうちに広げたほうがいい。

さて、以上はすべて大食いでジャンクフード好きな自分への言い訳である。今日も Burger Kingにいてオニオンリングなどを頼んでしまった。衣がしっかりついて、あまり上質でない油を吸って、玉ねぎの甘味が広がって美味くて好きなのだ。ちょっと胸焼けっぽい感じもするが、今後の人生を楽しむための修行である。

50代になっても、トンカツいもやで大盛りを頼むような、そういうオヤジになりたいものである。