古典 Net芸としてのトリックスター

花村さんの記事に関して、俺は芸としては評論していないけど、id:fromdusktildownさんのように芸として評価したほうがよりわかりやすかったかもしれない。俺が封筒裏の計算を始めたのも、感情の刺激があったからだし。


学習や啓蒙に第一に必要とされるのは、たんなる知識の解説ではない。

その事柄についてより注意深く考えてみたいと思わせるための、感情の刺激であり、動機付けなのだ。

それについて、「より深く知りたい」という、感情をかき立てられてはじめて、人々は、そのための「分かりやすい解説」を求めるようになる。「分かりやすさ」や「正確さ」はあくまで、感情が十分に刺激された後に来てはじめて意味があるものであって、感情の刺激のないところに、分かりやすく、正しい解説をいくら重ねても、眠くなるだけなのだ。

こういう話は NetNewsのころからある古典芸だ。正しいことを言っただけでは人は耳を傾けてくれない。太田純さんも voidさんを弁護するときにそういう論を組み立てていた気がする。

つまり「半角カナ」とかいう単語を使う記事に「バカな ATOKユーザーは困ります」*1と罵倒すれすれの表現で感情的に刺激するフォローをする。フォローされた人はかっかとして聞く耳を持たない場合は多いが、そのframeの観客である俺たちは啓蒙される。確かに、そうやってついた知識は多い。「記事はresponseをつける相手に対してではなく、読むみんなに対して書くもの」の好例だったと思う。社会的に評価されるべきだろう。

いずれにせよわれわれは正しい知識をほっといても取り入れるほど賢くはないのだ。そのなかで、一定の割合でのトリックスターは必要悪である。

でも、花村さんがトリックスターというほど変なことをいってる気はしないが。もしかしてこれは blog芸を知らしめるために弾さんがトリックスターになったと見るべきか知らん?

*1:「バカな」は限定用法であり、「ATOKユーザはバカである」を含意する非限定用法ではない、と解釈されるのが常だった