なぜ「沈黙は金」なのか

増田経由で「沈黙は金、雄弁は銀」-hyorohyoroの嘘日記ってentryを読んだ。「雄弁は銀、沈黙は金」っていうことわざに関する諸説。

西洋の文化として雄弁のほうが重視されていそうなのに、なぜ価値の低い銀になぞらえられているのか、っていう疑問が市井にはあるんだろうな。沈黙のほうがいいわけじゃない、銀のほうが価値があったんだって説があったらしい。そこに関してしらべた entryだ。でも結果はわからずじまい。

さて、そこで半可通の俺が来て、さらに諸説を加えますよ。

俺が聞いた説では、このことわざの前提にあるのは、金と銀の価値じゃなくて、使用法のちがいにあるって聞いた。

金って言うのは価値は高いかも知れないが装飾的な金属。あまり実用には向いていない。一方、銀というのは銀食器などもあるあるように実用もできる金属。

つまり超訳すると「雄弁は実用的だが、沈黙はお飾りだ」ってことらしい。なるほど、と思っちゃうでしょ。

ちなみにこれは岩波ジュニア新書の英文ことわざ集とかいうので読んだ。20年ぐらい前だからかなり曖昧だけど、asin:400500086Xかな。

でもひねくれた中学生だった俺は、「なんか話がうますぎるよなあ」と怪しんでいた気がする。しらべるまではしなかったけどね。

いずれにせよ、こうやって世間の疑問に一説を加えて混乱を生じさせることができれば幸いに存じます。