文脈と自由
日記の書き方に対する逡巡です。
キャラ恐怖症の元ネタは.. えーと、tumblrでみたハガキ職人のはなしだった:
意外なところでDPZの林雄司・小野法師丸・ヨシダプロの共通点は「ファミ通にネタ掲載経験がある」って話もDPZラジオで聴いたし。
web2.0とハガキ職人は、LANケーブルではない何かでつながっている。
意外なところでDPZの林雄司・小野法師丸・ヨシダプロの共通点は「ファミ通にネタ掲載経験がある」って話も... - otsune tumblr まとめサイト 画像保管庫Q
まあ、このネタから何で自分がハガキ職人にならなかったかを思い起こして、キャラに染まることの怖さを想い出したのだった。
で、こういう思い起こした元ネタってのは書いておいた方がいいのかなあ。自分にとっては、いろいろ付随した文脈を想い出すための重要なキーだし。「キャラ恐怖症」ってアイディアがどこから出てきて、なにを言いたかったかを想い出す。
しかし、文脈にとらわれずに一般化した方が良いこともあるんじゃないか。文脈に知らずに読むと色々発想したりするし。文脈がないと誤解を受けるかもしれないけど、ハガキ職人の例を出したって、それにまつわる文脈や感情を俺が想い出すだけで、読者は理解できない、というか変な情報を突っ込まれてさらに混乱しそうなだけだし。
そういうわけで、たんに思いつきのタネになった話題については、記述しないようにしようと思いました。そこの論理的なつながりを説明しようとしたくなるし、すると面倒くさくなるので。
でも、備忘録的にはメモしといた方がいいのかな。うーむ、悩む。