ベーマガ時代にもどりたいか?

最近の Web開発の話をみてると、なんかベーマガ時代に戻ったような気がするんだよね。

  • 曰く、このブラウザでは IE6.0ではこのCSS propertyが使えないけど、こうやって回避すればいいとか。
  • 曰く、with文は遅いから使わない方がいいって言うけど、こっちのブラウザでは違うとか

なんか、そういう実装依存の,小手先っていうかすぐに更新されちゃうような知識がいろいろとのさばってる気がして。
なんか、MZのBASICは文字列中に矢印がつかえて偉いだの、そんなのVIC-1001だってできるだの、変数名は2文字有効だとか16文字有効だとか、DEFINT A-Zとか。

たしか、Dr.Dの移植テクニック講座とか言って、各機種の処理系の違いを表にして出してたりしてたんだよね。連載で。あれをみて覚えて悦に入ってた小学生時代。友達の家のPCをいじって、その持ち主も知らない技を繰り出したりして。いやなやつだったよ。
そのうち、時代はMS-DOSになって、標準化マンセー、VRAM直叩きの方がはやいけど、そんなことやんないもんね、って中二病になっていった。

まあ、そういう若いころの、なんか無駄に脳ミソをつかったころを思いおこさせるんだよ。

あのころのぼくにはBASICは所与の物で。その処理系に文句をつけるとか考えられなくて。とにかくその癖を覚えていったもんだ。
そう、いまのAJAXとかいってるひとも、JavaScriptなんて腐った言語を所与の物と考えて、そのなかで頑張っちゃうことに快感を見出してるみたいに見える。その癖を覚えることがCoolみたいに。奴隷が鎖の自慢をするみたいに。

もちろん、そんなひとばかりじゃないんだろうけど。

そんな俺でも、iPhoneの Safariだと、Native applicationみたいなフリップができるとか知っちゃうとやってみたくなるんだよ。iPhoneむけだけのアプリをかいてみたくなるんだよ。どうしようかなあ。

ストリートビュー役に立った

2chのとあるまとめサイトより:

お互い人付き合いが苦手なので、この家には相手の許可なく夫婦以外を入れないと
取り決め済み(スペアキーは銀行の貸し金庫に入れた…はず)
ネコ飼いなので、少しぐらい物が動いていても不思議には思わなかった。
今話題のストリートビューを見たらベランダにいる義母がばっちり。

スレ111-743嫁 - 真のエネミーは配偶者 まとめサイト - アットウィキ

ストリートビューでみつかってやんの。草生やしてえ。

まあ、旬のネタを取り入れたガセである可能性もなきにしもあらずだが。

ストリートビュー役にたたねえ

話題になっているグーグルストリートビューであるが、プライバシーという側面よりも、そもそもストリートビュー本来の機能として役に立たないんじゃないか。
たとえば、以下に東京は阿佐ヶ谷のストリートビューがある:


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しかしこのビュー、本来ならアーケードがある場所に張られているのだ。それなのにアーケードなどどこにもない。そもそも、人の家の中に移動用の線がはいりこんでる!
これじゃ、実際にいくときの参考にしようとしてみても役に立たない。というか、かえって間違えてしまうんじゃないか。
プライバシーとか以前に、間違った情報をのせておくのはどうなのかしらん。
ここらへん、位置測定システムが、アメリカとかの道路に対応できる程度の制度のものしかないんだろうか。日本のカーナビメーカーの苦労をしりやがれ。
まあ、グーグルのことだからこんなの2ヶ月で直してきちゃうのかもしれないけど。

エネミーとか先入観とかお母さんとか

インドの代理母の問題の真相といわれてるものは、確かにひどいものだ。俺が最初にこのニュースに触れたときには、てっきり本当の妻の卵子を使った物だと思ってた。それを知らない人の卵子を使うよう押し付けられていたとは...離婚して当然だ。

まあ、でもそれより意外なのは、最初のニュースを読んだ時点で「妻が身勝手過ぎる」という反応が多いということだった。代理出産を頼んだのち離婚というのは確かに尋常ではないケースだが、かと言って状況も分からぬ段階で妻の側を批難するとは。

そもそも離婚というだけでは、妻と夫のどっちの側が有責であるかはまったくわからない。そして生まれてくる子に対しても、妻と夫、等分に責任があるはずなのだ。

それなのに先走って妻のほうを批難するとは。妻というより、「母」として批難されている気もしなくはない。子ともに対しては「父」の責任より「母」の責任は重いとでも言いたいような。なんとなく談合社会の崩壊の中で「お母さん」たちが担っているもの - アンカテを思い起こす。

俺が先走らずに判断停止できるのは、やはり散々「エネミーは配偶者」とかを読み漁って、「嫁」という立場でおいつめられる例をみているせいだろうか。件のサイトは所詮2chなのでネタは多いけど、野次馬がてら覗いてみることをおすすめする。このインドの事件ほどじゃないけど、ひどい夫の例は沢山あるよ。

一番怖いのは、こうやって事件とかまとめになって見るとひどいとか言えるけど、実際にその場に入ってみたら見過ごしてしまいそうな自分の感覚だ。同じような状況で「ひどい妻だな」っていってないだろうか。

エディタを使わない

日記を書くコツは、エディタを使わないことだとわかった。

エディタを使うと、どうしてもあっちをいじりたいとか、こっちをいれかえたいとか、出来上がる前にいろいろ手を加えたくなる。そうすると、自分の書いてる物がだんだんつまらなく思えてきて、結局ポストしなくなってしまうのだ。

考えてみると、いままでかいた受けたエントリは、いじらずに30分以内にさくっと勢いで書き上げた物が多い。そういうエントリの方が、自分としても後から読んでて楽しい。オナニーではあるけど。

ということで、これからはこの textareaの中でやってきます。どっかのブログに、質を高めようとするより、量を目指した方が結局質は上がるってのもあったしな。

街にやってきてるよ

つまり、多くの人にとって、自分の国に来てないうちは他人事で、自分の街には来てなくても自分の国に来たら一大事ということだ。

ストリートビューが僕らの街/国/星にやって来た - アンカテ

どうなんでしょう。私はみんな「ストリートビューが街にやってきた!」っていって騒いでる気がするんだけど。すくなくとも自分の感覚はそう。
ただ、その街がものすごくでかい、東京や大阪をふくんでる。昼間人口でいえば国民の20%ぐらい含んでいるのでは。だから、騒ぐ人も多い。

たしかに本当はアメリカで始まった時点で騒がなきゃいけなかった。でもやっぱり東京の路地とアメリカの広い道じゃ感覚が違う。
実際、俺の家もCAでのサービスイン当初からストリートビューの被写体になってた。でも、「お、写っちゃってるよ」ぐらいで、覗き見されてる感覚はあんまりなかった。
でも日本はちがう。せいぜい、歩道がある道から歩道越しにとってくれるのかと思ったら。車がすれ違うのも不可能そうな路地にまで入って撮影してる。すげえ。タクシー泣かせの世田谷の道まで入っている。無茶だよ。不審そうにカメラを見上げてるおばさんがいっぱい写ってるのも無理はない。
さすがGoogle、空気読めてないよ。いや、むしろそういう空気まで写し取って保存してくれてるよ。
と、ここまで見て気づいた。ストリートビューは空気まで保存しちゃってるから、見ている我々にいたたまれない気分にさせてるんじゃないか。空気を読まされちゃう。見てるとKYと言われそう。その不快感がああいう数々の反応になってるんじゃないか。
俺もまだ日本教信者だってことですかね。

現金なアメリカのプレゼント

ふと思い出してネタになるかなと思ったら見事に忘れたネタがあったなと数日悶々としてたのだが、無事思い出せたのがこれ。

amazonの欲しい物リスト祭りのときにも思ったのだが、こっちのプレゼントと言うのは現金である。送る側が思い悩まなくていいように、ゲストの皆様に欲しい物リストを公開するのが普通なのだ。Amazon以外でも Toysarousにもある。しかもインターネットで検索でできるからお手軽だ(例えば Targetのサイト)。これでプレゼントに悩むことはない。

さらにこれを見ずに、いらない物をもらってしまった場合も救済策がある。ギフトレシートというものがあるのだ。これをいっしょにもらっていれば、もらった側が返品して交換できるのだ。選んでくれた誠意を無にするのか!という気もするが、いらない物をもらうよりはいいという割り切り方なのだろう。

まあ、たぶんこれもウォルマートが始めた返品文化とともに近年ひろまった、とにかく販売店の店頭から在庫が捌けることを第一に考えた商法なんだろう。

貰った方の満足を最大化できるんだから、合理的でいいじゃんという意見もあるだろうが、やはり納得いかない。

例えば、その結果できるのが誕生日パーティーとかのプレゼントの山だ。こちらは公園で誕生日パーティーをしているのをよく見るが、その時に付き物なのが綺麗に飾られたプレゼントの山である。日本で慎ましく誕生日を祝ってきた身としてはビックリするばかり。あんなにもらってうれしいとか以前に、家に置き場所はあるんだろうか?

貰い手の満足最大化とかいっても、現金に替えられるわけでもなく、また別の、自分で金を出しては買わなかっただろう商品に変わるだけだ。贈る側と贈られる側の和で見れば価値は減っている。ウォルマートとかの量販店がその差を吸い取ってるといっていい。

結局の所、ポトラッチをやってるだけやんけ。先住民の悪習をみならってどうすんだ。日本人としては、やはりここはもったいない精神を出して「心ばかりの」プレゼントで満足する、そういう風でありたい。

そういうこといってるから、日本の景気はいまいちなんですかね。